2020年4月3日金曜日

キャリアはわがまま半分、流され半分(1)

今更ながら、どうして就職のときに自動車会社を受けなかったか?40年以上前です。

結局、マスコミも試験途中に止めて、超のつく大企業の最終面接も半端な態度で役員をシラケさせて中堅の機械メーカーに就職したのは、ここなら早く中国に行かせてくれるだろうと根拠のない想定をし、甘い期待に乗ったからです。

機械が好きで、どんなモノを扱うか保証の限りでなかった商社を避けて、試験を受けたのは中堅の機械メーカー。友人が四季報をみて、「中国に行きたいのならこんなとこどうだ」と紹介してくれたのです。しかし本当の技術者さんでなければ、子供じみた製造業へのあこがれはあまり意味をなさなかったと気がついたのは40歳も半ばです。早く一人前の中国通になろうと意気込んで入社した会社で配属されたのは、人事部。嫌で嫌で仕方がありませんでした。

入社2年目には十二指腸潰瘍を患いました。
「胃潰瘍になってこそ、一人前の人事マンだ。」
ってことで、相手にもされませいでしたが、3日、3週間、3カ月、3年と、3のつく周期で「辞めてやる」と思い続けていました。今だから話せますが、あるときバイクメーカーの国際営業の中途採用を受けました。しかしどういう訳だか先の人事部長と話が合い、送られてきたのは人事部採用のオファーでした。同じ仕事でしかも嫌な人事を地方にまで行ってやるのは如何なものかと辞退申しあげましたが。

幸か不幸か、私を採用してくれた当時の人事部の次長さんは私に過大な期待をしてくれました。今思えば、相当大事に育ててくれたのだろうと思います。10年振りに新卒を配属した人事部では、それこそ「愛の鞭」ですべての業務のお手伝いをさせてくれました。たぶん、直属の人事課長がそう指示してくれたのだと思います。普通、大卒の労政担当はタイムカードの集計や保養所の予約受付やらやりませんよ。メインは労働条件や就業規則、労使協定など、労組との交渉に関わることも多く、よくいえば企画です。従って、ルーチンは極力少なく、春闘や秋闘(規程改定交渉)、社長以下全幹部社員が出席する労使協議会の事務局、新しい規程(制度)の作成など、それまでの人事のメジャーな業務担当でした。




2018年12月9日日曜日

なぜ私は「iモード」が嫌いだったのか


先日、アップル大好き友人と話していて、
「僕はアップルは嫌いだけど、もっとも嫌いなのはドコモのiモードだ」
という話で盛り上がりました。もっとも盛り上がったというか、エキサイトしたのは私だけでしたが。

今更、なぜ「iモード」が嫌いだったのか。

アップルの故スティーブ・ジョブズを信奉する人は今でも多いのですが、あのiPHONEは、いまのスマホ文化のスタートでした。これは紛れもない事実ですが、負け惜しみでいえば、アップルの勝因はジョブズの発想力だけでした。

そもそもから入ります。

我々世代(今60歳前後)がインターネットに接したのは、30歳そこそこ。私は今64歳ですが、1990年頃は機械メーカーの経営企画部の情報システム担当でした。課長にもなっていない主任レベルでしたが、ITなんか全然分からない役員に対して、ご進講を上げる立場です。自分の上に課長もおらず、部長もおらず、いきなり取締役しかいない立場を利用して様々なことに手をつけました。実に面白い時代でした。

インターネットについては、まずeメールの情報が友人から入ったことと、HTMLという変な言語について知ったことです。

友人は、エンジニアリング事業部の情報システムを開発する担当でしたが、海外の技術者とやりとりをする間に、Unixベースのメールと呼ばれる情報交換手段を知り、私に教えてくれました。それまで、NTTの海外版であるKDDの通信回線を使ったテレタイプしか知らなかった自分にとってもショックだったのと、何よりインターネットがフリー(タダ)という基本ポリシーに驚愕したのです。

Unixマシン同士が、何の関わり合いもない機械同士がネット上で、パケットいう電子小包をたらい回ししていくという、無責任というか、無法地帯というか、そんな世界はアメリカのいい加減なヤツラしか通じないだろうと、当時感じたものです。

TCP/IPがこれほどになるとは信じられなかったのは、当時のコンピュータの性能を固定のものとして考えていたからです。ちょっと知っていると判断を過つというアレですね。

しかし実際には、今のような環境が突然出現することはなく、始まったのはNiftyサーブという富士通のパソコン通信のメール交換からです。これは実はインターネット前夜の80年代後半から始まっていました。問題は、電話回線を使っていたこれが、社内にLANが引かれ、専用線内で企業内LANをベースに、イントラネットと呼ばれる世界ができ、それが段々公衆のWAN(WorldWide)になっていくという、進化です。

私が役員会でこの説明をしたときのキーワードが「キセル(煙管)」です。つまり、入口と出口だけお金がかかり、中間のネットはタダだということを知らしめた訳です。それまで、遠くの事業所とのコンピュータや内線電話は、専用線を使っていて、膨大なコストをNTTに払っていたので、驚くほど安くなるという話に役員も飛びつきました。

ただ、私のいた会社は、大きな(太い)回線をNTTから借りて、それを細切れ(小口)にして回線リセールをしていたので、事実上は回線使用料はタダ同然だったので、進行は遅かったです。しかし、そのノウハウがあったので、そういうみみっちいことをしていなかった会社よりは、技術力にしても、費用対効果論にしても、対応力は高かったと思います。

次にHTMLですが、これはシステム子会社の若いひとから教えられたことで、それは就業規則などのイントラネット版を作るのにちょうど良いと、私が飛びついたものです。

イントラネットは社内の情報共有を、紙ではなく、PCを通じて行おうとする試みで、経営企画室リードでコスト削減の一環として進めていました。例えば、人事部であれば異動ニュース(発令)などを、毎月2回大量に印刷して各事業所に発送していましたが、これが数百枚です。当時、日本の会社は「社内便」と呼ばれる専用のトラックを事業所ごとに走らせていて、これは固定費なのですが、紙の書類などがほとんど。社内便がないところは郵便料金をかけて発送する訳です。

もちろん時差もありますが、これをイントラに載せて、PCがある人は自分で見る、ない事業所は総務がダウンロードして印刷する。ということで格段のコスト削減になりました。発令だけではなく、あらゆるものがこういった手段に置き換わっていったのです。

話がそれましたが、この規則類をネットに載せるときに、よく規定に、「表2のごとく」のような表現が出てきます。いちいちスクロールして最後の方のページにいって、「ふんふん、なるほど」なんてやっていたのではまだるっこしい。どうしたものかということきに、リンクで飛んでいくHTMLに目をつけたのです。もどるのも一瞬。これで、7000名に配っていた就業規則や管理職規程類なども廃止しました。

ちいっと話がそれていますが、大事なのは『インターネットはフリー』という発想です。iモードは、PCに縛られていたネットの世界を、街に解き放った効用はありますが、それを自分だけの利益にしてしまったNTTはやはり、憎むべき存在です。私的企業ですから仕方がないのかせしれませんが、準公的なポジションであるべき組織体が巨大な利益を貪っている姿は、私には醜悪に見えました。

(iモードを知らない人もいると思いますが、簡単にいうと、インターネットのプライベート版です。NTTの囲われた世界だけで、情報の提供やeコマースを行うもので、足回り(回線費用はNTTが独り占めしていました。つまりは、固定費ではなく、アクセスは従量性で、使えば使うほどNTTが儲かるということ。今ではあり得ない世界です。これをガラケーでやっていました。)

たぶん、インターネット初期の頃にいろいな夢を見ていた人々は同じような思いを持っているのではないかと思うのですが。

レバタラは言っても詮ないのですが、あのとき、日本技術力でPCを小型化して、さらにそれをフリーの環境で使っていってネットを公共化していくという発想が、日本の企業界や政治にあったらと思うわけです。技術的な情報は揃っていました。ただ発想でジョブズに負けてしまったのです。

こういった構図は、日本のIT界には数多く、願わくば総務省の大臣には、せめて20年先が想像できる人を選んでほしいと思います。

一時、かの会社のグループ会社で禄を食んだ身ではありますが、日本全体がゼネコン体質のIT業界は「親の仇」というのは言い過ぎでしょうか。

2017年1月7日土曜日

最近のクルマについて

 クルマの話をします。まずはエンジンについて。

 日産自動車のノートが売れています。これは従来のハイブリッドとは基本的に異なるクルマと言った方が良さそうです。トヨタのプリウスやアクアといった売れ筋のクルマには興味がない私も、気になっているクルマです。

 従来型のハイブリッドは、発動機つまりエンジンとモーターが協調してクルマを走らせています。つまり、ときにはバッテリーから電気を得てモーターがタイヤを回し、高速道路など、モーターだけでは非力すぎるときにエンジンがパワーを伝えるなどの、かなり複雑なコーワークで動いているのです。どうしてこういう発想をしたのか、私には理解できないのですが、最終的に電気自動車になるという考え方がなかったのでしょう。トヨタの技術者のプライドなのか、経営者の意向なのか。非常に危うい感じがします。

 一方のノートですが、これは基本的には電気自動車です。エンジンはバッテリーに充電するためのものになっています。動力としては使っていません。あくまでノートは電気モーターで動いているのであって、バッテリーの残量が少なくなれば、エンジンが発電して充電していくという仕掛けです。ここで分かるように、将来にかけてバッテリーの性能がアップして、300キロも500キロれ走れるようになれば、エンジンは不要になる、盲腸のようなものでしょうか。

 トヨタのプリウスは「暫定版」である、と言い切っても良いのかも。従ってこれにあまり頼り過ぎると、人類の曙の頃のネアンデールタール人のようになってしまいます。いずれ廃れると分かっているのです。トヨタは着々と準備はしているのでしょう。あのトヨタのことですから抜かりはないと思います。

 今、こういったネアンデールタール人のようなクルマを買う人はどんな人なのでしょうか。「燃費が良いから」「環境に優しいから」といううたい文句を語る人もいますが、実際にコストを厳密に計算すると、ハイブリッド車は割りに合わないケースが多いのではないかと思います。私は12年越えの外車に乗っていますが、5年落ちの中古車で新車のときの40%程度で入手しました。それから7年近く乗っています。技術的にはかなりこなれたモノで、FR(後ろのタイヤで駆動輪)で5速オートマチック。CVTではありません。1800ccでスーパーチャージャー付き。欧州では小さめの排気量のクルマにターボチャージャなどを付けて高出力にし、燃費を抑えていくというポリシーが有力になった頃のクルマです。

 多分前輪はディスクブレーキだと思いますが、大人しく運転しているときはギアを段々に下げてエンジンブレーキを使うので、フットブレーキを踏むのは最後の止まるときだけ。箱根新道なんかも、フットブレーキを踏まずに降りてきます。後ろのクルマはブレーキランプが点かないので、少し離れていきますね。こんな具合で燃費の平均は12キロ。内緒ですが、ガソリンもハイオク仕様なのにレギュラーで走っています。

 初めて乗ったクルマがCVTやハイブリッドだと、まずクルマを運転する楽しさは感じないでしょう。我々世代の教習所では、セドリックやクラウンのベンチシート、コラム3速で厳しく教えられました。あの教官はすぐ怒るから嫌だというと、我慢しなさいと諭される時代でした。半クラッチなんかは当たり前ですが、ダブルクラッチを習得して、トラックの運転で褒められるというのは、ある意味達成感がありました。

 クルマは進化し続けています。エンジンは精密部品のような代物ですが、バッテリーの技術的なブレークスルーによって、確実に衰退していきます。しかし、ハイブリッドはいけません。なにより心臓のような鼓動を感じてクルマを運転する楽しさがありません。単なる移動手段になり下がるクルマは、AIを積んだ無人バスのような存在で、これはこれで必要なモノになるのでしょうが、ちょっと遠出をしたいとか、自由にどこにでも行きたいという欲求はどうなのでしょう。

 ノートは「e-Power」というそうです。エンジンブレーキのような感覚もあると言いますが、次はこれかな。20年もすると、発動機付きのクルマは高い娯楽の対象となるのかもしれません。

2017年1月4日水曜日

新年おめでとうごさいます


茅ヶ崎からの初日の出をお送りします。右端はえぼし岩です。3人のサーファーがいました。

今年は天気も良く、例年になく多くの人が海岸に初日の出を見にきていらっしゃいました。

本年も皆様が良いお歳をお迎えになりますように。今年もよろしくお願いします。


2016年7月28日木曜日

ゲームとインターネット

 ポケモンGOが大流行のようです。娘が家のなかからゲットしたといって見せてくれましたが、残念ながら私はコンピュータゲームを一切やりません。

 80年代にオリベッティのPCから始まった私のコンピュータ経験は、その後ホストコンピュータはIBMや富士通、PCはNECのPC8001から98シリーズ、富士通はFMRなど、また9450というマルチジョブ、マルチタスクのワークステーション等を経てDOS-Vに繋がっていきます。

 ほぼ業務用のコンピュータなのですが、PC8001時代はBASICという言語を習得して、簡単なゲームも勉強のために作っていました。640X400ドットという画面の制約上、絵は簡単なものしかできず、8X8のASCIIキャラクタを使った画面が多かったように思います。アメリカ製のスタートレックなんかは参考になりました。

 またルールに加えてランダム変数を使い、蓋然性を不確かにするように工夫したのですが、数学が得意でなかったため、ラムダムの偏りの補正できませんでした。ランダム変数の発生具合を確認するため、簡単なプログラムを作ってみました。十字を作ってスタートを(0,0)にし、発生させたランダム変数で上下左右に動かしてみたのですが、どうしても一方に進んで行ってしまう。後から考えると発生する実数を四象限に丸めていくのがいけなかったのですが。

 0から自分でルールを考え、プログラムで組んでいくと、バカバカしくなってコンピュータゲームはできなくなりました。人間が小さいのですね。どちらかというと決められたルールで決められた枠内で意志決定をするより、自分でルールを作りたいという人間には、ゲームは向きませんね。また弱いくせに負けず嫌いの人間にも向かないのかも。またインターネットの初期から知っている自分には、もうひとつ許せないことがありました。

 日本のガラケーと呼ばれる携帯には、iモードという世界があります。インターネットと考え方が反するこの世界が私はキライでした。今だから正直にいいますが、iモードでやるゲームには嫌悪さえ感じていました。インターネットが日本に上陸したとき、システム企画の人間は何を感じたか? それはある意味タダでネットが使える、情報が平等に行き渡る、実世界の活動が置き換わる、非同期型のコミュニケーションが行き渡るといったものでした。

 システム企画に携わる者にとって、新しい技術を自分たちの仕事にどう活していくのかを想像することは非常に大事なことです。「インターネットなんか不要だ。もっと身近な問題を片づけて欲しい」といった役員がいましたが、彼は企画ができない、予算しか頭にない上司でした。ちなみに彼に与えたPCは、ソリティアしか動かさないゲーム機になっていましたが。

 iモードはそれまでの若者の可処分時間を変えてしまいました。実世界の活動時間が減って、更に実世界で使うお金まで吸い取ってしまったのです。NTTドコモだけが潤って、だんだん日本が変わって行く時代を見ていました。そのとき、ネットの使い方が世界の常識とは違う日本のiモードを苦々しくみていたのは私ひとりだったのでしょうか。ビジネス的には大成功だったガラケーではなく、あのときスマホ的な進歩の仕方をしていれば、かなり違った世界になっていたのではと思います。

 携帯とは異なり、システムの世界はインターネットの本質的な効用をどこまで使えるかに取り組んでいたように思います。オフィスから電話の音が消え、ファクシミリが主役の座を降り、皆がPCに向かって仕事をしている光景が当たり前になっていきます。メールに対する評価はいろいろですが、ビジネスプロセスが一変してしまったことは事実でしょう。

 インターネット以前のオフィスや工場など多くの職場では、業務システムが登場する以前の「ヒト」がする仕事がたくさんあり、また経験の豊富な熟練者が数多くいました。現在の非正規社員が増加した原因のひとつに、こうした熟練者業務の置き換えがあります。つまり、見える化以前の複雑なオペレーションやコミュニケーション、属人化などが必須の世界では、不用意に入れ代わる非正規社員ではなく、従順に長い経験のある人材が必要だったのです。それがモノ言わぬ、疲れをしらないシステムに変わっていきました。こうした傾向はまだまだ続きます。

 今やゲームがキライだとか言う世界ではありません。また自分が携わってきた、業務システムの浸透についての結果についても、よくよく考えるときになっています。バーチャルな世界はますます拡大し、ビシネスプロセスでは更に省人化が進むでしょう。AIも実世界で無視できない存在になりつつあります。抗することのできない進歩した技術環境の中で、自分を見失わないよう生きていくのは難しいと感じる社会になりました。 くれぐれも「歩きスマホ」には注意しましょう。自分がやらなくても。

2016年7月18日月曜日

「平均」という安易な統計数値について


 よく「〇〇の平均」がどうなったとか、こうなったとか話題になりますが、「平均」という分かりやすい数字が一人歩きして、間違った理解を招いているような気がします。ひとり当たりの貯蓄額やボーナスの支給額など、世間との乖離に嫌な思いをしている人たちが、私を含めて数多くいるのではないでしょうか。

 多少こういう材料を仕事に使ったことがある人はすぐ分かるのですが、母集団に異常値があると、全体をゆがめた形で理解することになります。例えば貯蓄にしても、極端なお金持ちが統計の対象になれば、計算されて出てきた「平均」は、存在しない人を指していることもあります。10人を対象に、一人が1億の貯金があるとして、その他は100万円が9人。この「平均」は1億900万円を10で割って、1090万円ということになります。10人の平均が1000万余りと聞いて、9人はその違いに戸惑うでしょう。難しくいえば、データが正規分布していれば、感覚的な「平均値」を常識的に受け取ることができるのですが、異常値がある限り、違和感は生れるというもの。

 最近の記事に、弁護士の年収が著しく落ち込んでいるというものがありました。この「平均」がどう計算されたのか、その他の統計数字がないので分からないのですが、この種のニュースにはいろいろな時代背景が隠れています。一番大きく響くのが、「団塊の世代」の引退によるものです。つまり、世代間の基礎的な条件に大きな変動がない場合は良いのですが、母集団が変わりつつある場合は注意が必要です。

 弁護士のような自由業、つまり定年がなく自分で業務量をコントロールできるような職業の場合、歳をとって現役時代より仕事量を減らしていけば、全体に及ぼす影響は少なくないものと考えなければなりません。若い人々がバリバリ働いていてそれなりの年収を稼いでいても、70歳を過ぎた老練弁護士が完全引退せず、年相応に働いていれば、全体の平均額を引き下げることになります。こうした場合、例えば60歳以下の弁護士同士を比較しなければなりません。

 同じような問題として、日本全体の勤労者の年収問題があります。年収が下がり続けているという現象が起きた場合、例えば子育てをしていた主婦がパートに出る数が増加している、定年を迎えた段階の世代などが、年金を補完するために非正規の仕事をほそぼそとやっている、等々の事象が増えれば、純粋に正規社員だけの統計資料中の「平均」と比べれば、低下してくるはずです。割り引いて考えなければならないことが多くある中、単純な統計数値を信じては判断が狂うかもしれません。

 非正規社員が増加して、日本人の平均年収が下がっていることは事実です。それは比較的報酬の良かった第二次産業の製造業から第三次産業のサービス業などへ勤労者がシフトしているからという分析も間違いではありません。しかしデフレによるものだとか、人口オーナス(少子高齢化による働き手の現象に起因する減速要因)によるものだとか、少し調べれば分かることも数多くあります。「シロをクロを言いくるめる」のを得意とする輩はそこかしこにいます。我々は騙されないようにしなければなりません。

 もし貴方が「『平均〇〇』がこうなったから大変だ』と思って行動を起こそうとしているなら、今一度冷静に考えることをお勧めします。

2016年7月13日水曜日

新しい時代の不死を考える

 人は二度死ぬといいます。つまり物理的な「死」と生きている人々から忘れられることによる「死」です。

 ご先祖様は、世代をさかのぼると2の倍数で増えていきます。つまり親は2、その親は2×2で4、そのまた親は4×2で8。120年ほど前の自分のご先祖雑は16人いることになります。普通の考えて覚えているのは、家族でもせいぜいおじいさん、おばあさんくらいまでで、たとえ家系図があっても会ったこともない人々を覚えていることはできません。だから市井の人々は60年もすれば忘れられるのです。歴史に名を残した人々はともかく、自分も100年もたてばあとかたもなくこの地球上から消えてしまうことになると思うべきでしょう。

 しかし最近思うのですが、例えば自分の記憶や事績がデータとして残り、考え方のロジックがシステムとして存在し続け、音声も生前の声が再生できるとしたら。。。 iPHONEで使われているSiliが、貴方の声で貴方の記憶をベースに生きている人と会話する世界です。日本ではロボットが老人の生きる支えになるような使われ方をしています。例えば愛する人の声を残し、その人の生きていた記憶もデータ化して、ロボットの形で提供できるとしたら、第二の「死」といわれているものも考え直されるのです。最近ではビッグデータがAIのバックボーンになって、昔でいう「もの知り博士」のような人工知能が出現するような話があります。しかし、敢えて特定の人物に制約した知識や記憶を持つAIができれば、それは特定の「人格」と認識されるのかもしれません。企業が「法人」として存在するように、そういったAIも例えば「機人」として扱われる時代がくるとか。

 物理的な「死」についても、iPS細胞で再生した細胞や臓器をリプレースしていけば、物理的な「死」もなくなるのでしょう。脳細胞の死についても、記憶がデータとして取り出せて人工知能に送り込まれれば、永遠の命として生きていくのかも。小松左京の小説には、人工実存として宇宙を旅するAEが描かれています。また、意識を温存して、繰り返し物理的な生物固体としての人体にダウンロードして生きていくという小説もあります。人間の脳細胞の活動が生理的電気的な信号で行われているならば、いつの日かそういった世界が訪れることが予想されます。

 生物が死んで次の世代に命をつないで行くのは理由があると言われています。それは生物世界で発生する一定のエラーを残さず、一から作り直すことで徐々に進化?していくという。ガンという病気も組織的なエラーで、一定以上の年月を経た人間の身体で発生する一種のエラーだといいます。思考というものが知識の積み上げや経験の積み重ねによる概念化の一部だとすると、思考そのものにもエラーが発生する可能性があります。そうなると、物理的なエラーや寿命という隠された生物のプログラムを回避できたとしても、永遠に生き続けることはNGだということになってしまいます。しかし100年後、1000年後の世界を見てみたい気はしますが、貴方はどうですか?